2015年07月21日
どの位の確率だろう?
「ばばの日記」
7月21日(火雨後曇り)
5日前だったかな?
長女からメールがあった。
妹(我が家の三女)と同級生の○○ちゃんのお父さんって
家のお父さんと同級生だよね」と。
○○ちゃんって、確かに我が家の三女と
同級生がいたことは覚えている。
でも、そのお父さんが、じじと同級生かどうか、ばばは分からない。
早速じじに聞いてみると、確かに同級生だという。
娘が、なぜ、このようなメールをくれたかというと
実は、○○ちゃんのお子さんと、我が家の娘の次男が同じクラスだという。
ビックリ!
世間は広いというか?
狭いというか?
いや、この場合は「世間は広いようで狭い」が当てはまるのかな?
広い東京の、おそらく何百とある小学校のうちの1校で、
お母さんが徳之島出身の子ふたりが
偶然同じクラスになるなんて。
娘の言によれば、学校で○○ちゃんと何回か顔を合わすうちに
「何処か懐かしい感じがするなぁ・・・」とは思っていたらしい。
娘と○○ちゃん、共通の友人がいて、
○○ちゃんも、我が家の娘も徳之島出身と分かったので
「お互い知っていますか?」と連絡くれて
始めて同郷の後輩、それも自分の妹の友人
ということが分かったんだって。
ビックリ~~~
こんな事ってあるんだねぇ。
あと1つ。
ばばが、加計呂麻へ3年間単身赴任したことは
ブログに何回か書いている。
その加計呂麻で出会った子のお母さんが
実は、じじと「二従兄弟」だったの。
ばば、全然知らなくって。
でも、ばばが3年間加計呂麻にいたことで、お付き合いが始まり
今では家族ぐるみのお付き合いをしている。
「家族ぐるみ」・・・っていうのはね、
ばばが加計呂麻勤務を終えて徳之島に帰ってきた数年後
じじの「二従兄弟」さんが、加計呂麻から徳之島へ赴任してきたの。
人間の繋がりって、本当に不思議だなぁ・・・と、特に思う昨今である。
7月21日(火雨後曇り)
5日前だったかな?
長女からメールがあった。
妹(我が家の三女)と同級生の○○ちゃんのお父さんって
家のお父さんと同級生だよね」と。
○○ちゃんって、確かに我が家の三女と
同級生がいたことは覚えている。
でも、そのお父さんが、じじと同級生かどうか、ばばは分からない。
早速じじに聞いてみると、確かに同級生だという。
娘が、なぜ、このようなメールをくれたかというと
実は、○○ちゃんのお子さんと、我が家の娘の次男が同じクラスだという。
ビックリ!
世間は広いというか?
狭いというか?
いや、この場合は「世間は広いようで狭い」が当てはまるのかな?
広い東京の、おそらく何百とある小学校のうちの1校で、
お母さんが徳之島出身の子ふたりが
偶然同じクラスになるなんて。
娘の言によれば、学校で○○ちゃんと何回か顔を合わすうちに
「何処か懐かしい感じがするなぁ・・・」とは思っていたらしい。
娘と○○ちゃん、共通の友人がいて、
○○ちゃんも、我が家の娘も徳之島出身と分かったので
「お互い知っていますか?」と連絡くれて
始めて同郷の後輩、それも自分の妹の友人
ということが分かったんだって。
ビックリ~~~
こんな事ってあるんだねぇ。
あと1つ。
ばばが、加計呂麻へ3年間単身赴任したことは
ブログに何回か書いている。
その加計呂麻で出会った子のお母さんが
実は、じじと「二従兄弟」だったの。
ばば、全然知らなくって。
でも、ばばが3年間加計呂麻にいたことで、お付き合いが始まり
今では家族ぐるみのお付き合いをしている。
「家族ぐるみ」・・・っていうのはね、
ばばが加計呂麻勤務を終えて徳之島に帰ってきた数年後
じじの「二従兄弟」さんが、加計呂麻から徳之島へ赴任してきたの。
人間の繋がりって、本当に不思議だなぁ・・・と、特に思う昨今である。
2015年07月21日
コチドリ(夏羽)
【じじ写真日記】
7月 21日 (火) 天気 雨(風雨やや強し) 室温 29.0℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)60% (午前6時47分計測)
今日もまたここにも「コチドリ」の写真を再掲します。
先回よりは、接近して撮ることが出来た。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月20日、11:51 徳之島町諸田池で撮影)
7月 21日 (火) 天気 雨(風雨やや強し) 室温 29.0℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)60% (午前6時47分計測)
今日もまたここにも「コチドリ」の写真を再掲します。
先回よりは、接近して撮ることが出来た。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月20日、11:51 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月21日
またコチドリ
【じじ動画日記】
7月 21日 (火) 天気 雨(風雨やや強し) 室温 29.0℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)60% (午前6時47分計測)
マリアナ諸島付近で熱帯低気圧に衰えた台風12号がまた復活して現在小笠原近海で小型の台風に成長し再び沖縄・奄美諸島を狙って西へ進行中のようで有る。
数日後は、島へ大きな影響が出そうだ!
今朝は、台湾付近の熱帯低気圧と台風12号の狭間になって、島は大荒れの天気になっている。

昨日は諸田池で「コチドリ」待ち伏せしていたら一羽だけタイミングよく出て来た。
前回より接近し、画像もよかったので再度アップします。
今回、渡来しているコチドリたちは警戒心が一段と強く、今まで何度も撮り損ねていたが、ようやくある程度満足いく画像が撮れた。
またコチドリ
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月20日、11:55 徳之島町諸田池で撮影)
7月 21日 (火) 天気 雨(風雨やや強し) 室温 29.0℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)60% (午前6時47分計測)
マリアナ諸島付近で熱帯低気圧に衰えた台風12号がまた復活して現在小笠原近海で小型の台風に成長し再び沖縄・奄美諸島を狙って西へ進行中のようで有る。
数日後は、島へ大きな影響が出そうだ!
今朝は、台湾付近の熱帯低気圧と台風12号の狭間になって、島は大荒れの天気になっている。

昨日は諸田池で「コチドリ」待ち伏せしていたら一羽だけタイミングよく出て来た。
前回より接近し、画像もよかったので再度アップします。
今回、渡来しているコチドリたちは警戒心が一段と強く、今まで何度も撮り損ねていたが、ようやくある程度満足いく画像が撮れた。
またコチドリ
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月20日、11:55 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月20日
マツモって?
「ばばの日記」
7月20日(月)曇後雨
一昨日のことだ。
ばばが、あるお店に行くと、先客Aさんがいた。
ばばが社会人2年目職場にAさんの息子さんがいて
少しだけ関わりがある。
ばばは、Aさん親子を知っているが、
Aさんはばばのことを覚えていないそうだ。
それは無理も無い。
Aさんの息子さんとは、毎日のように顔を合わすが
保護者とは、あまり面識も無かったから。
そんなAさんだが、あるお店にばばが通う内に
ふとした会話で、ばばがAさんの息子さんのことを話した事から
親しく言葉を交わすようになった。
一昨日も、ばばがお店に行くとAさんが
「マツモって知ってる?」と聞くので
「分かりません。海の藻の一種ですか?」と聞くと
「いや、木の名前だよ。紫色の花が咲く・・・」と言った後
「ほら、あっちにあるよ」と指さすが、
ばばには「紫色の花が咲く木」がどれか分からなかった。
指さす方にある木は、サルスベリ・松の木・
イヌマキくらいしか見当たらないんだけど・・・・
すると、Aさんは「ついておいで、
見せてあげる」とどんどんばばを先導した。
連れて行ったのは、お店の庭の隅っこ。
そして、Aさんが「ホラ、この木よ」と指さしたのは「イヌマキの木」。
(画像は、過日の強風で痛めつけられた我が家の隅にあるイヌマキの木。)

Aさんが指さしたイヌマキの木の下には、ばばより後から来た
男性のお客さんが1人、暑さを避けて座っていた。
ばばとAさんが、近づいて行ったのでビックリしたらしいが
「マツモ」についての会話が始まった。
Aさんは、徳之島の北部の地区出身。
ばばの実家集落とはけっこう近い。
そして、男の方は、徳之島の中部の方だと言った。
男の人は「マツモというのは知らないが、自分たちは
この木のことはヒトツバと言う」と話した。
ばばが「私の実家集落では、方言ではマークィ-と言っていました」と
言うと、「へぇ~初めて聞いた」と、Aさんと男の方。
その後も、3人とも徳之島町出身と言うことで、急に打ち解け
「島っちゅなら、島口で話しましょう」と、急に方言での会話が始まった。
色々話を聞いていると、Aさんは子供さんが中学校を卒業すると
島を出て、神戸で20年間夫婦共働きをして、その後、島に帰り10年目だと言う。
偶然、男の方も神戸で働いていて、最近、定年後島に帰って来たらしい。
色々話す中で、Aさんが「私は今年89才よ」と言うので
男の方とばばは、ビックリ仰天。
2人同時に「とてもそうは見えません!」と。
せいぜい70才代位かと思っていた、ビックリ、ビックリ。
背中もシャンと伸びているし、会話もしっかりしているし
何よりビックリしたのは、ずっと離れたスーパーまで
数キロの道を、買い物の時は歩いて往復していると話した事。
「健康のために何かしていますか?」と男の方が聞いたら
「いや、何も・・」と。
話している時、急にイヌマキの害虫、キオビエダシャクが飛んで来て
木に留まった。ばばは、ギョッとして数歩後ずさったが
Aさんは、「この木の枝は、花香(はなこう)と言って
お墓参りに持って行くのよ」と言いながら、ポキポキと枝を数本折った。
(あらら~貴重な枝を勝手に折って良いのかな?)とハラハラしたのは、ばばだけ。
それに、キオビエダシャクが留まったと言うことは?
枝に幼虫がいるかも知れないのに・・・・ばばなら、絶対枝に触れないよ~
「虫、怖くないですか?」と聞くばばに「平気、平気。
虫なんか付いていないよ」とAさん。
その時、お店の方が「品物、準備できましたよ~」と呼ぶので
お店に来た順に、Aさん、ばば、男の方と1列に並んで店先へ・・・・
歩きながらも、男の方は「とても89には見えないなぁ・・」と呟くので
ばばも「あのように年をとりたいですね」と言いながら歩いた。
3人それぞれ品物を受け取り帰ったが、
3人とも「島口ばなし、面白かったね~」と言いながら別れた。
凄いな~良いなぁ~矍鑠とした89才。
ばばもAさんのように90才になっても、
シャンと背中の伸びたおばあさんになりたいなと心から思った。
「マツモ」という初めて聞く言葉から、楽しい島口会話に繋がったお話でした~。
7月20日(月)曇後雨
一昨日のことだ。
ばばが、あるお店に行くと、先客Aさんがいた。
ばばが社会人2年目職場にAさんの息子さんがいて
少しだけ関わりがある。
ばばは、Aさん親子を知っているが、
Aさんはばばのことを覚えていないそうだ。
それは無理も無い。
Aさんの息子さんとは、毎日のように顔を合わすが
保護者とは、あまり面識も無かったから。
そんなAさんだが、あるお店にばばが通う内に
ふとした会話で、ばばがAさんの息子さんのことを話した事から
親しく言葉を交わすようになった。
一昨日も、ばばがお店に行くとAさんが
「マツモって知ってる?」と聞くので
「分かりません。海の藻の一種ですか?」と聞くと
「いや、木の名前だよ。紫色の花が咲く・・・」と言った後
「ほら、あっちにあるよ」と指さすが、
ばばには「紫色の花が咲く木」がどれか分からなかった。
指さす方にある木は、サルスベリ・松の木・
イヌマキくらいしか見当たらないんだけど・・・・
すると、Aさんは「ついておいで、
見せてあげる」とどんどんばばを先導した。
連れて行ったのは、お店の庭の隅っこ。
そして、Aさんが「ホラ、この木よ」と指さしたのは「イヌマキの木」。
(画像は、過日の強風で痛めつけられた我が家の隅にあるイヌマキの木。)

Aさんが指さしたイヌマキの木の下には、ばばより後から来た
男性のお客さんが1人、暑さを避けて座っていた。
ばばとAさんが、近づいて行ったのでビックリしたらしいが
「マツモ」についての会話が始まった。
Aさんは、徳之島の北部の地区出身。
ばばの実家集落とはけっこう近い。
そして、男の方は、徳之島の中部の方だと言った。
男の人は「マツモというのは知らないが、自分たちは
この木のことはヒトツバと言う」と話した。
ばばが「私の実家集落では、方言ではマークィ-と言っていました」と
言うと、「へぇ~初めて聞いた」と、Aさんと男の方。
その後も、3人とも徳之島町出身と言うことで、急に打ち解け
「島っちゅなら、島口で話しましょう」と、急に方言での会話が始まった。
色々話を聞いていると、Aさんは子供さんが中学校を卒業すると
島を出て、神戸で20年間夫婦共働きをして、その後、島に帰り10年目だと言う。
偶然、男の方も神戸で働いていて、最近、定年後島に帰って来たらしい。
色々話す中で、Aさんが「私は今年89才よ」と言うので
男の方とばばは、ビックリ仰天。
2人同時に「とてもそうは見えません!」と。
せいぜい70才代位かと思っていた、ビックリ、ビックリ。
背中もシャンと伸びているし、会話もしっかりしているし
何よりビックリしたのは、ずっと離れたスーパーまで
数キロの道を、買い物の時は歩いて往復していると話した事。
「健康のために何かしていますか?」と男の方が聞いたら
「いや、何も・・」と。
話している時、急にイヌマキの害虫、キオビエダシャクが飛んで来て
木に留まった。ばばは、ギョッとして数歩後ずさったが
Aさんは、「この木の枝は、花香(はなこう)と言って
お墓参りに持って行くのよ」と言いながら、ポキポキと枝を数本折った。
(あらら~貴重な枝を勝手に折って良いのかな?)とハラハラしたのは、ばばだけ。
それに、キオビエダシャクが留まったと言うことは?
枝に幼虫がいるかも知れないのに・・・・ばばなら、絶対枝に触れないよ~
「虫、怖くないですか?」と聞くばばに「平気、平気。
虫なんか付いていないよ」とAさん。
その時、お店の方が「品物、準備できましたよ~」と呼ぶので
お店に来た順に、Aさん、ばば、男の方と1列に並んで店先へ・・・・
歩きながらも、男の方は「とても89には見えないなぁ・・」と呟くので
ばばも「あのように年をとりたいですね」と言いながら歩いた。
3人それぞれ品物を受け取り帰ったが、
3人とも「島口ばなし、面白かったね~」と言いながら別れた。
凄いな~良いなぁ~矍鑠とした89才。
ばばもAさんのように90才になっても、
シャンと背中の伸びたおばあさんになりたいなと心から思った。
「マツモ」という初めて聞く言葉から、楽しい島口会話に繋がったお話でした~。
2015年07月20日
ハマシギ(夏羽) 写真
【じじ写真日記】
7月 20日 (月) 天気 雨 室温 28.0℃ 外気温 25.6℃ 湿度(室内)77% (午前7時07分計測)
久し振りにハマシギの夏羽成鳥の腹が黒いのを見た。
島ではこの様な腹が黒いのはあまり見かけられない。
ハマシギは、旅鳥として春秋の渡りの時期に多く見られ少数が冬鳥として越冬する。
警戒心が強く接近して撮れないので、画像は良くないが悪しからず!
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月19日、10:03 徳之島町諸田池で撮影)
7月 20日 (月) 天気 雨 室温 28.0℃ 外気温 25.6℃ 湿度(室内)77% (午前7時07分計測)
久し振りにハマシギの夏羽成鳥の腹が黒いのを見た。
島ではこの様な腹が黒いのはあまり見かけられない。
ハマシギは、旅鳥として春秋の渡りの時期に多く見られ少数が冬鳥として越冬する。
警戒心が強く接近して撮れないので、画像は良くないが悪しからず!
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月19日、10:03 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月20日
ハマシギ(夏羽) 動画
【じじ動画日記】
7月 20日 (月) 天気 雨 室温 28.0℃ 外気温 25.6℃ 湿度(室内)77% (午前7時07分計測)
台風 9・11・12号が過ぎ去ったら、今度は低気圧が発達した熱帯低気圧が通過中!
今朝は昨日からの雨がまだ降り続いている。
今日も一日雨模様になりそうだ!

昨日もまた諸田池へ取材に行ったら、「ハマシギ」の夏羽がタカブシギたちに混じって行動をしていた。
夏羽成鳥の腹黒いハマシギは久しぶりに見た。
島では冬羽を多く見かける、また夏羽でも腹がこの様に黒くない幼鳥を見かけることが多い。
ハマシギ(夏羽)
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月19日、10:19 徳之島町諸田池で撮影)
7月 20日 (月) 天気 雨 室温 28.0℃ 外気温 25.6℃ 湿度(室内)77% (午前7時07分計測)
台風 9・11・12号が過ぎ去ったら、今度は低気圧が発達した熱帯低気圧が通過中!
今朝は昨日からの雨がまだ降り続いている。
今日も一日雨模様になりそうだ!

昨日もまた諸田池へ取材に行ったら、「ハマシギ」の夏羽がタカブシギたちに混じって行動をしていた。
夏羽成鳥の腹黒いハマシギは久しぶりに見た。
島では冬羽を多く見かける、また夏羽でも腹がこの様に黒くない幼鳥を見かけることが多い。
ハマシギ(夏羽)
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月19日、10:19 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月19日
友、遠方より来たる・・・・
7月19日(日)曇時々小雨
昨夜、9時過ぎに電話が鳴った。
9時過ぎの電話は滅多に無いので、急いで受話器を取ると
先輩のT姉さんからだった。
「ばばちゃ~ん、あのね、今、群体が行われていて
加計呂麻の選手も来ているんだって。
伊仙町で明日試合があるらしいんだけど・・・・
応援がてら、ちょっと差し入れでもしに行こうかと思って」とのこと。
行きましょう、行きますとも!
ばばが、17前、単身赴任でお世話になった加計呂麻島。
加計呂麻を離れてから、14年。
14年の間、一度だけ、元の職場の同僚が声をかけてくれ
加計呂麻へ行って来たが、自分がお世話になった集落へは行けず
今日に至っている。
結婚以来、始めて家族と離れて3年間の単身赴任。
引っ越しの荷物なども集落中の方々が出て来て下さり
運び入れて下さった。
着任はしたものの、心細くて、寂しくて、夕方になると、
目の前の海に沈む夕日を見ては泣いていた。
そんなばばに、集落の方々は、朝夕優しく声を掛けてくれ
時には庭先で育てた野菜や、新鮮な魚などを届けてくれた。
年配の方が多く、皆さん優しくばばに接してくれた。
赴任当時は泣いてばかりいたばばだが、
3年の任期を終え、徳之島に帰るとなると
なぜか、もっと加計呂麻で暮らしたくなったが
じじが徳之島に居て、母の世話になっているし
妻として、任期延長は出来なくて帰島した。
徳之島へ戻る時も、集落中の方々が見送って下さった。
加計呂麻の方々には本当にお世話になり
親切にしていただいたので、今でも何名かの方々とは
交流が続いている。
今回の群体のゲートボール大会の会場が、伊仙町。
9名の選手の内5名は、昔お世話になった方々。
会いたい!
T姉さんも、ばばと勤めていた時期は違うけれど
やはり加計呂麻へ単身赴任しているので
是非応援に行こうと声をかけてくれたのだ。
差し入れを少し準備して、今朝は8時半に家を出た。
途中で別の用事もあったので、会場に着いたのは9時過ぎで
ばば達が到着したのとほぼ同時に、開会式が始まった。
開会式が終わるまで車中で待ち、その後会場に向かったが
すぐに試合が始まって、加計呂麻の方々とは会えず
1試合目が終わるまでテントの中で待機。
試合途中から目がポツリポツリ・・・・・
選手の皆さんは濡れながら競技している。
加計呂麻の方々は、ばば達がいるテントから
一番遠い場所でプレーしている。
試合が終わるのを待って、近くへ行った。
懐かしい加計呂麻の方々・・・
わぁ~~~!!!とお互い声を上げ、握手、握手、握手。
皆さん全然お変わりなく、元気そうで。
1試合目は残念ながら負けてしまったが、続く2試合目は勝った。
2試合目が終わると、3試合目まで少し時間があったので
テントの中で皆さんと歓談。
ずっと最後まで応援したかったが、T姉さんも、ばばも
家でしなければならないこともあり、3試合が始まると同時に帰ることに。
家に帰って昼食を済ませたところにメール着信。
加計呂麻チームのYさんからで、
残念ながら優勝候補のチームとの試合では惜敗したとのこと。
結果、1勝2敗で入賞は出来なかったそうだ。
又、今夕の船で、名瀬へ行き、そこから車で古仁屋へ行き
夜中船を貸し切って、加計呂麻へ渡るらしい。
名瀬着が9時過ぎだから、そこから車で約1時間。
夜11時前後に古仁屋に着けば、船を貸し切って加計呂麻の港まで行き
そこから更に自分たちの車で自宅へ帰る・・・・・
自宅着は真夜中か、明日の早朝か?
昼から再び降りだした雨は、ますます強くなっている。
名瀬から古仁屋までは道も悪いだろうし、
雨の中、運転する方は大丈夫かなぁ?
沖縄からの上り船の入港時刻を船舶会社に問い合わせると
4時50分というので、港までひとっ走りして
見送りまでしてこようと決心。
雨の中、港へ着くと、待合室の中は沢山の人、人、人でごった返していた。
加計呂麻の方々は何処だろうとキョロキョロしていたら
1番前の方に座っていた。
ばばを見つけると「ごめんね~、朝もいっぱい差し入れなどもらったのに
天気の悪い中、わざわざ来てくれて」と言うので、
「私の家は歩いても行ける距離ですから」と言いながら
試合会場では話せなかったことを色々お喋り。
14年ぶりに会えた方とも、
まるで加計呂麻で生活していた頃のような気持ちで話せた。
そうこうしているうちに船が入港し
雨の中、傘もささずに皆さんタラップを上って行かれた。
自宅到着までは、まだまだ先は長いけど
お気を付けて帰って下さいね~~~と
ばばは皆さんを見送った。
懐かしい加計呂麻の方々と会えた、幸せな1日でした!
昨夜、9時過ぎに電話が鳴った。
9時過ぎの電話は滅多に無いので、急いで受話器を取ると
先輩のT姉さんからだった。
「ばばちゃ~ん、あのね、今、群体が行われていて
加計呂麻の選手も来ているんだって。
伊仙町で明日試合があるらしいんだけど・・・・
応援がてら、ちょっと差し入れでもしに行こうかと思って」とのこと。
行きましょう、行きますとも!
ばばが、17前、単身赴任でお世話になった加計呂麻島。
加計呂麻を離れてから、14年。
14年の間、一度だけ、元の職場の同僚が声をかけてくれ
加計呂麻へ行って来たが、自分がお世話になった集落へは行けず
今日に至っている。
結婚以来、始めて家族と離れて3年間の単身赴任。
引っ越しの荷物なども集落中の方々が出て来て下さり
運び入れて下さった。
着任はしたものの、心細くて、寂しくて、夕方になると、
目の前の海に沈む夕日を見ては泣いていた。
そんなばばに、集落の方々は、朝夕優しく声を掛けてくれ
時には庭先で育てた野菜や、新鮮な魚などを届けてくれた。
年配の方が多く、皆さん優しくばばに接してくれた。
赴任当時は泣いてばかりいたばばだが、
3年の任期を終え、徳之島に帰るとなると
なぜか、もっと加計呂麻で暮らしたくなったが
じじが徳之島に居て、母の世話になっているし
妻として、任期延長は出来なくて帰島した。
徳之島へ戻る時も、集落中の方々が見送って下さった。
加計呂麻の方々には本当にお世話になり
親切にしていただいたので、今でも何名かの方々とは
交流が続いている。
今回の群体のゲートボール大会の会場が、伊仙町。
9名の選手の内5名は、昔お世話になった方々。
会いたい!
T姉さんも、ばばと勤めていた時期は違うけれど
やはり加計呂麻へ単身赴任しているので
是非応援に行こうと声をかけてくれたのだ。
差し入れを少し準備して、今朝は8時半に家を出た。
途中で別の用事もあったので、会場に着いたのは9時過ぎで
ばば達が到着したのとほぼ同時に、開会式が始まった。
開会式が終わるまで車中で待ち、その後会場に向かったが
すぐに試合が始まって、加計呂麻の方々とは会えず
1試合目が終わるまでテントの中で待機。
試合途中から目がポツリポツリ・・・・・
選手の皆さんは濡れながら競技している。
加計呂麻の方々は、ばば達がいるテントから
一番遠い場所でプレーしている。
試合が終わるのを待って、近くへ行った。
懐かしい加計呂麻の方々・・・
わぁ~~~!!!とお互い声を上げ、握手、握手、握手。
皆さん全然お変わりなく、元気そうで。
1試合目は残念ながら負けてしまったが、続く2試合目は勝った。
2試合目が終わると、3試合目まで少し時間があったので
テントの中で皆さんと歓談。
ずっと最後まで応援したかったが、T姉さんも、ばばも
家でしなければならないこともあり、3試合が始まると同時に帰ることに。
家に帰って昼食を済ませたところにメール着信。
加計呂麻チームのYさんからで、
残念ながら優勝候補のチームとの試合では惜敗したとのこと。
結果、1勝2敗で入賞は出来なかったそうだ。
又、今夕の船で、名瀬へ行き、そこから車で古仁屋へ行き
夜中船を貸し切って、加計呂麻へ渡るらしい。
名瀬着が9時過ぎだから、そこから車で約1時間。
夜11時前後に古仁屋に着けば、船を貸し切って加計呂麻の港まで行き
そこから更に自分たちの車で自宅へ帰る・・・・・
自宅着は真夜中か、明日の早朝か?
昼から再び降りだした雨は、ますます強くなっている。
名瀬から古仁屋までは道も悪いだろうし、
雨の中、運転する方は大丈夫かなぁ?
沖縄からの上り船の入港時刻を船舶会社に問い合わせると
4時50分というので、港までひとっ走りして
見送りまでしてこようと決心。
雨の中、港へ着くと、待合室の中は沢山の人、人、人でごった返していた。
加計呂麻の方々は何処だろうとキョロキョロしていたら
1番前の方に座っていた。
ばばを見つけると「ごめんね~、朝もいっぱい差し入れなどもらったのに
天気の悪い中、わざわざ来てくれて」と言うので、
「私の家は歩いても行ける距離ですから」と言いながら
試合会場では話せなかったことを色々お喋り。
14年ぶりに会えた方とも、
まるで加計呂麻で生活していた頃のような気持ちで話せた。
そうこうしているうちに船が入港し
雨の中、傘もささずに皆さんタラップを上って行かれた。
自宅到着までは、まだまだ先は長いけど
お気を付けて帰って下さいね~~~と
ばばは皆さんを見送った。
懐かしい加計呂麻の方々と会えた、幸せな1日でした!
2015年07月19日
コチドリ(夏羽)
【じじ写真日記】
7月 19日 (日) 天気 曇 室温 31.0℃ 外気温 28.8℃ 湿度(室内)59% (午前7時35分計測)
諸田池には例年、春秋の渡りの時期にはこの「コチドリ」たちが渡来し、羽を休めているが、
今回のように夏に渡来することも良く有る。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月16日、11:16 徳之島町諸田池で撮影)
7月 19日 (日) 天気 曇 室温 31.0℃ 外気温 28.8℃ 湿度(室内)59% (午前7時35分計測)
諸田池には例年、春秋の渡りの時期にはこの「コチドリ」たちが渡来し、羽を休めているが、
今回のように夏に渡来することも良く有る。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2015年7月16日、11:16 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月19日
コチドリ
【じじ動画日記】
7月 19日 (日) 天気 曇 室温 31.0℃ 外気温 28.8℃ 湿度(室内)59% (午前7時35分計測)
今朝は沖縄の西海上に有る低気圧の影響で雲が多く、波もやや高い。
海岸から東へ数キロメーターの海上は雨が降っているのが、ハッキリと見えた。
今日は一日不安定な天気になりそうだ!

先日、諸田池に数羽の「コチドリ」たちが来ていた。
コチドリは、本土では夏鳥として渡来し繁殖をしているが、島では旅鳥として春秋の渡りの時期に渡来する。
中には冬鳥として渡来し越冬するグループもいる。
コチドリ
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月16日、11:34 徳之島町諸田池で撮影)
7月 19日 (日) 天気 曇 室温 31.0℃ 外気温 28.8℃ 湿度(室内)59% (午前7時35分計測)
今朝は沖縄の西海上に有る低気圧の影響で雲が多く、波もやや高い。
海岸から東へ数キロメーターの海上は雨が降っているのが、ハッキリと見えた。
今日は一日不安定な天気になりそうだ!

先日、諸田池に数羽の「コチドリ」たちが来ていた。
コチドリは、本土では夏鳥として渡来し繁殖をしているが、島では旅鳥として春秋の渡りの時期に渡来する。
中には冬鳥として渡来し越冬するグループもいる。
コチドリ
↑ スタートボタンをクリックして下さい。
(2015年7月16日、11:34 徳之島町諸田池で撮影)
2015年07月18日
シンボルツリー
「ばばの日記」
7月18日(土)晴れ
ばばの実家の庭には、大きなガジュマルの木があった。
集落内でも1,2を誇るほどの大木だった。
子供の頃は、このガジュマルの木から垂れ下がってくる
髭根?にぶら下がったり、木に登って棚を作って
その上で勉強したり、友達とお喋りしたり・・・・・・
楽しい思い出が数え切れないほどある。
木は枝を伸ばし、その枝が太くなり
時々、親戚や隣近所のお兄さん達も頼んで剪定し
いつの間にか、ばばの家の石垣代わりにもなるほど
大きくなった。
平成4年に父が、7年に母が亡くなって
木の手入れが出来なくなった。
それでも、大きなガジュマルの木は
ばばの家のシンボルツリーであり続けた。
しかし、ガジュマルの木は落葉する。
特に台風の時は大量の葉を落とす。
その落ちた葉の後始末も大変だったが
ご近所さんからも、台風後、ばばの家のガジュマルの落ち葉が
庭に吹き飛ばされてきて、庭が汚れて困ると言われるようになった。
この苦情は、ばばに直接言ったのでは無いが、
友人から聞いて、ばばは苦渋の決断をした。
ばばは、当時仕事をしていたし、しょっちゅう実家に帰れるわけでは無い。
両親の教えも「他人様に迷惑を掛けるようなことは絶対するな」だった。
だから、ばばは、業者さんを頼んでガジュマルを伐採してもらった。
ばばの家の大木は、集落の方は、ほぼ全員知っていたと思う。
ガジュマルを切ったということで、とても残念がる親戚のお兄さんもいた。
ばばも辛かった。
でも、仕方なかったんだよなぁ・・・・と
今でもたまに呟く。
ばばは、幼稚園生の頃から中学生の頃まで
このガジュマルに何百回登って遊んだことか。
ガジュマルの気に登ることで、木登りを覚え
桑の木やミカンの木、色々な木に登って、
実を収穫したり出来るようになった。
ばばの「野生児」のルーツの一つは
このガジュマルの木かも知れないと思う。
「猿も煽てりゃ気に登る・・・」だったっけ?
考えてみれば、猿は煽てなくたって、木に登るよなぁ・・・
ばばは、今でもじじに煽てられて、ついつい木に登ってしまう。
例えば・・・じじが撮影した写真のプリントアウト。
ほぼ100%、ばばがする。
じじは、器械に関してはプロだから、ちゃんと出来ると思うのに
「ばばの方が専門だから」と言われると、すぐ、プリンタのスイッチを入れてしまう。
ダメよ、ダメダメ~~と娘達の声が聞こえるようだし、
ばばの内なる声も「なんで、ばばがするの?
じじにさせれば良いのに」と叫んでいるのに・・・・・
出来ても、出来ないふりをすれば良いものを・・・
ばばは「やった!できた!」とすぐ、表に出してしまうからいけないんだよなぁ。
現在、ばばが暮らしている「じじ両親宅」にはシンボルツリーが無い。
ばばがじじと結婚した当初は、門にガジュマルの木があった。
庭に桜の木があり、その横にはクロトンの木もあった。
しかあし、やはり落葉が多いということで、ガジュマルの木を切り
「シロアリが発生するよ」と言われ、桜の木を切った。
クロトンも、結構大きかったけど、母が庭仕事も出来なくなり
介護施設でお世話になるようになった頃、ばばが少しずつ先端から
伐採を始め、そのうち夜香木が大きく枝を伸ばして
クロトンを覆い尽くしてしまった。
今では、「じじ両親宅」庭のシンボルツリーは夜香木。
年に何回も花を咲かせ、木陰も作ってくれるから良いかな?
あと、庭の隅に2年前、ばばが友人からもらった苗を植えた桜の木が
2メートル以上の高さになり、枝を広げている。

桜と夜香木。
どちらも大好き。
大事にしなくちゃね。
7月18日(土)晴れ
ばばの実家の庭には、大きなガジュマルの木があった。
集落内でも1,2を誇るほどの大木だった。
子供の頃は、このガジュマルの木から垂れ下がってくる
髭根?にぶら下がったり、木に登って棚を作って
その上で勉強したり、友達とお喋りしたり・・・・・・
楽しい思い出が数え切れないほどある。
木は枝を伸ばし、その枝が太くなり
時々、親戚や隣近所のお兄さん達も頼んで剪定し
いつの間にか、ばばの家の石垣代わりにもなるほど
大きくなった。
平成4年に父が、7年に母が亡くなって
木の手入れが出来なくなった。
それでも、大きなガジュマルの木は
ばばの家のシンボルツリーであり続けた。
しかし、ガジュマルの木は落葉する。
特に台風の時は大量の葉を落とす。
その落ちた葉の後始末も大変だったが
ご近所さんからも、台風後、ばばの家のガジュマルの落ち葉が
庭に吹き飛ばされてきて、庭が汚れて困ると言われるようになった。
この苦情は、ばばに直接言ったのでは無いが、
友人から聞いて、ばばは苦渋の決断をした。
ばばは、当時仕事をしていたし、しょっちゅう実家に帰れるわけでは無い。
両親の教えも「他人様に迷惑を掛けるようなことは絶対するな」だった。
だから、ばばは、業者さんを頼んでガジュマルを伐採してもらった。
ばばの家の大木は、集落の方は、ほぼ全員知っていたと思う。
ガジュマルを切ったということで、とても残念がる親戚のお兄さんもいた。
ばばも辛かった。
でも、仕方なかったんだよなぁ・・・・と
今でもたまに呟く。
ばばは、幼稚園生の頃から中学生の頃まで
このガジュマルに何百回登って遊んだことか。
ガジュマルの気に登ることで、木登りを覚え
桑の木やミカンの木、色々な木に登って、
実を収穫したり出来るようになった。
ばばの「野生児」のルーツの一つは
このガジュマルの木かも知れないと思う。
「猿も煽てりゃ気に登る・・・」だったっけ?
考えてみれば、猿は煽てなくたって、木に登るよなぁ・・・
ばばは、今でもじじに煽てられて、ついつい木に登ってしまう。
例えば・・・じじが撮影した写真のプリントアウト。
ほぼ100%、ばばがする。
じじは、器械に関してはプロだから、ちゃんと出来ると思うのに
「ばばの方が専門だから」と言われると、すぐ、プリンタのスイッチを入れてしまう。
ダメよ、ダメダメ~~と娘達の声が聞こえるようだし、
ばばの内なる声も「なんで、ばばがするの?
じじにさせれば良いのに」と叫んでいるのに・・・・・
出来ても、出来ないふりをすれば良いものを・・・
ばばは「やった!できた!」とすぐ、表に出してしまうからいけないんだよなぁ。
現在、ばばが暮らしている「じじ両親宅」にはシンボルツリーが無い。
ばばがじじと結婚した当初は、門にガジュマルの木があった。
庭に桜の木があり、その横にはクロトンの木もあった。
しかあし、やはり落葉が多いということで、ガジュマルの木を切り
「シロアリが発生するよ」と言われ、桜の木を切った。
クロトンも、結構大きかったけど、母が庭仕事も出来なくなり
介護施設でお世話になるようになった頃、ばばが少しずつ先端から
伐採を始め、そのうち夜香木が大きく枝を伸ばして
クロトンを覆い尽くしてしまった。
今では、「じじ両親宅」庭のシンボルツリーは夜香木。
年に何回も花を咲かせ、木陰も作ってくれるから良いかな?
あと、庭の隅に2年前、ばばが友人からもらった苗を植えた桜の木が
2メートル以上の高さになり、枝を広げている。

桜と夜香木。
どちらも大好き。
大事にしなくちゃね。