2019年04月26日
単身赴任
「ばばの日記」
4月26日(金)晴れ
昨日とは、うって変わった晴天だったので、起床後、すぐ洗濯開始。
朝食後、すぐに干して・・・干し終わったら東の空に灰色の雲がいっぱい。
「室内に取り込むべきか?」迷いつつ、外干ししていたら
又青空が広がって・・・・気持ち良く乾くぞ!
昨日は、豪雨の合間を縫って文化会館へ行った。
「第27回 ゆめ ときめき しじゅうにこにこフェスティバル」が開催され
3時からは演芸発表もあるというので、出かけた。

毎年出かけているけど、内容は各地域毎に踊り、三味線やギター、ハーモニカ演奏
島唄、舞踊(フラダンス等)等がある。
出場者は、ほぼ70才以上の方々。
昨日は悪天のため、出場を予定していた地域でも欠席する所もあったが
それぞれのプログラムとも、楽しく会場は盛り上がった。
ただ、残念だったのは、やはり豪雨の影響で観客が極端に少なく
会場はガラガラ・・・舞台上では一生懸命演舞される方々に申し訳ない位だった。
舞台発表の前に、毎年、警察署の方から交通安全係?の方が来場され
高齢者向けの講話をして下さる。
昨日は「全ちゃん」というお人形さんも登場し
女の方が腹話術をしながら「交通安全について」色々話して下さった。
初めの講話は、男の方が色々話して下さったが、
ばばは「単身赴任」という言葉に引きつけられた。
話をされた警察の方も、鹿児島市の方から単身赴任されているとの事で
お子さんと、奥様は鹿児島の方で学業やお仕事を頑張っているそうだ。
その、お巡りさん、徳之島へ単身赴任され、料理も掃除も全て自分でしなくてはならなくなり
改めて奥さんのありがたさを認識されたそうだ。
年に数日は休暇が貰えるので、鹿児島へ帰省されるそうだが
その時は、今まではしなかった「皿洗い」等も率先してやり
奥さんのリクエストで「包丁研ぎ」とか、出来る事は協力してやるようになったって。
我が家の場合は、ばばが3年間島外へ単身赴任した。
最初のうちは寂しくて、夕方、夕日を見ては泣き、鏡に映る自分の顔を見ては泣いていた。
ばばがいない間、じじは母のお世話になった。
部活動指導で帰宅の遅いじじの為に、父の分とは違うメニューなども準備してくれていたそうだ。
又、帰りが早い時も、たまにはあるので、母は一品おかずを作る間
じじと父は晩酌もするので、刺身を必ず付けてくれたそうだ。
父は、刺身はそんなに好きではなかったけど・・・・
それから、ほぼ毎日、じじの夕食には刺身が付くようになり、じじは刺身大好きに。
ばばが単身赴任するまでの我が家では、刺身を買うのは家庭訪問の時とか
お客様が見える時、誕生会とか父の日、母の日、敬老会など家族イベントがある日だった。
ばば自身が刺身を全く食べられないので、買う気が全然無くて・・・・
子供達も、刺身は好きだったかも知れないのに。。。
単身赴任の間、ばばは、じじ両親には感謝してもしきれないほどお世話になった。
又、じじや子供達に寂しい思いもさせた。
単身赴任を終えて戻った時、先述のお巡りさんのように
「配偶者の為に出来る事は協力する」という優しさはなく
「我が道を行く」横着ぶり。
単身で赴任して行ってすぐは、朝晩、寂しくて泣いてばかりいたのに
任期が終わる頃には、あと数年、島に戻る事を延期したいとさえ思っていた。
それだけ、赴任した地域の皆様方が優しくて、職場も最高の人間関係だった・・・
という事もあるけれど、時間が経つと「ひとり暮らしって、こんなに楽なのか~」
という思いにもなっていたから。
家庭人失格のばばだったなぁ・・・
あの我が儘な自分が、まだ心の片隅にいるようで、たまに怖くなる・・・
昨日、お巡りさんの講話を聞きながら、約20年前の「単身赴任」を思い出したばばでした。
4月26日(金)晴れ
昨日とは、うって変わった晴天だったので、起床後、すぐ洗濯開始。
朝食後、すぐに干して・・・干し終わったら東の空に灰色の雲がいっぱい。
「室内に取り込むべきか?」迷いつつ、外干ししていたら
又青空が広がって・・・・気持ち良く乾くぞ!
昨日は、豪雨の合間を縫って文化会館へ行った。
「第27回 ゆめ ときめき しじゅうにこにこフェスティバル」が開催され
3時からは演芸発表もあるというので、出かけた。

毎年出かけているけど、内容は各地域毎に踊り、三味線やギター、ハーモニカ演奏
島唄、舞踊(フラダンス等)等がある。
出場者は、ほぼ70才以上の方々。
昨日は悪天のため、出場を予定していた地域でも欠席する所もあったが
それぞれのプログラムとも、楽しく会場は盛り上がった。
ただ、残念だったのは、やはり豪雨の影響で観客が極端に少なく
会場はガラガラ・・・舞台上では一生懸命演舞される方々に申し訳ない位だった。
舞台発表の前に、毎年、警察署の方から交通安全係?の方が来場され
高齢者向けの講話をして下さる。
昨日は「全ちゃん」というお人形さんも登場し
女の方が腹話術をしながら「交通安全について」色々話して下さった。
初めの講話は、男の方が色々話して下さったが、
ばばは「単身赴任」という言葉に引きつけられた。
話をされた警察の方も、鹿児島市の方から単身赴任されているとの事で
お子さんと、奥様は鹿児島の方で学業やお仕事を頑張っているそうだ。
その、お巡りさん、徳之島へ単身赴任され、料理も掃除も全て自分でしなくてはならなくなり
改めて奥さんのありがたさを認識されたそうだ。
年に数日は休暇が貰えるので、鹿児島へ帰省されるそうだが
その時は、今まではしなかった「皿洗い」等も率先してやり
奥さんのリクエストで「包丁研ぎ」とか、出来る事は協力してやるようになったって。
我が家の場合は、ばばが3年間島外へ単身赴任した。
最初のうちは寂しくて、夕方、夕日を見ては泣き、鏡に映る自分の顔を見ては泣いていた。
ばばがいない間、じじは母のお世話になった。
部活動指導で帰宅の遅いじじの為に、父の分とは違うメニューなども準備してくれていたそうだ。
又、帰りが早い時も、たまにはあるので、母は一品おかずを作る間
じじと父は晩酌もするので、刺身を必ず付けてくれたそうだ。
父は、刺身はそんなに好きではなかったけど・・・・
それから、ほぼ毎日、じじの夕食には刺身が付くようになり、じじは刺身大好きに。
ばばが単身赴任するまでの我が家では、刺身を買うのは家庭訪問の時とか
お客様が見える時、誕生会とか父の日、母の日、敬老会など家族イベントがある日だった。
ばば自身が刺身を全く食べられないので、買う気が全然無くて・・・・
子供達も、刺身は好きだったかも知れないのに。。。
単身赴任の間、ばばは、じじ両親には感謝してもしきれないほどお世話になった。
又、じじや子供達に寂しい思いもさせた。
単身赴任を終えて戻った時、先述のお巡りさんのように
「配偶者の為に出来る事は協力する」という優しさはなく
「我が道を行く」横着ぶり。
単身で赴任して行ってすぐは、朝晩、寂しくて泣いてばかりいたのに
任期が終わる頃には、あと数年、島に戻る事を延期したいとさえ思っていた。
それだけ、赴任した地域の皆様方が優しくて、職場も最高の人間関係だった・・・
という事もあるけれど、時間が経つと「ひとり暮らしって、こんなに楽なのか~」
という思いにもなっていたから。
家庭人失格のばばだったなぁ・・・
あの我が儘な自分が、まだ心の片隅にいるようで、たまに怖くなる・・・
昨日、お巡りさんの講話を聞きながら、約20年前の「単身赴任」を思い出したばばでした。
2019年04月26日
自衛隊ヘリコプター
【じじ写真日記】
4月26日(金)天気 晴 室温 25.5℃ 外気温 22.2℃ 湿度(室内)61%(午前6時17分計測)
昨日まで悪天候をもたらした前線が遠ざかり、島の天気は回復に向かいそうだ!
昨日は、雷雨を伴った大荒れの日で取材が出来なかったので今日は撮り置きの写真を1枚アップします。
先日、丹向川河口で鳥の観察をしているとヘリコプターが一機上空を通過した。
ネットで製造番号から調べてみると航空自衛隊保有の「Kawasaki CH-47J Chinook(57-4492)」と判明した。
最近は、自衛隊や米軍の航空機が頻繁に島の上空を通過している。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月15日、10:44 徳之島町亀津丹向川河口で撮影)
4月26日(金)天気 晴 室温 25.5℃ 外気温 22.2℃ 湿度(室内)61%(午前6時17分計測)
昨日まで悪天候をもたらした前線が遠ざかり、島の天気は回復に向かいそうだ!
昨日は、雷雨を伴った大荒れの日で取材が出来なかったので今日は撮り置きの写真を1枚アップします。
先日、丹向川河口で鳥の観察をしているとヘリコプターが一機上空を通過した。
ネットで製造番号から調べてみると航空自衛隊保有の「Kawasaki CH-47J Chinook(57-4492)」と判明した。
最近は、自衛隊や米軍の航空機が頻繁に島の上空を通過している。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月15日、10:44 徳之島町亀津丹向川河口で撮影)
2019年04月25日
「ファーストペンギン」になれますか?
「ばばの日記」
4月25日(木)雨
朝から、雷鳴、大雨。

室内も電気をつけないと暗い。
可燃ゴミを出す日だったので、食後、ゴミをまとめようと外に出た途端!
ゴロゴロゴロゴロ!ドカ~~~ン!
瞬時に飛び上がり、濡れ縁にダッシュ!
室内から、ばばの行動を見ていたじじ、大爆笑!
でも、本当に怖かったんだもん!
この時期、雷が鳴ると、落雷も身近で起こるから怖い。
NHKラジオでも「奄美地方落雷・竜巻注意報」が報じられている。
去年は、落雷でじじのパソコンがやられちゃったし。
だから、じじは早々にブログアップした。
ばばも、これ以上雷が鳴り出さないうちにブログをアップしなきゃ!と頑張っている。
朝食時、雷鳴にビクビクしながら、ラジオを効いていた。
すると「ファースト ペンギン」という言葉が出て来た。
餌を求め、天敵の多い水中に真っ先に飛び込むペンギンという意味だそうだ。
ある行動に勇気を持って臨めるか?というテーマで
「エスカレーターとファーストペンギン」が例として出されていた。
都会の駅などで、エスカレーターに乗る時、東京などでは左側に多くの人が立ち
大阪では右側に立つそうだ。
そして、時間が無い!と言う人などは、空いた側を歩いて上がったり
駆け足で上がったりするのを、ばばも何回も見ている。
空いた側を歩く、駆け上がる行動についてを課題にし
リスナーの方からも色々な意見が出されていた。
やはり賛否両論。
時間が無くて、駆け上がったりするんだったら、
もう少し早い便を利用すれば良いじゃないかとか
大きなトランクを両方に持って乗っている人の脇を、駆け上がろうとした人が接触し
転落して事故になった事例とか、
杖をついた方が、左手に杖を持ち、右手でエスカレーターの手すりを掴んでいたら
迷惑をかける・・・とか。
あっさりと、1人しか乗れない幅のエスカレーターにしたら良いんじゃないかとか
色々な意見があった。
元々はエスカレーターって、2人が横に並んで立って乗るの?
ばばも個人的に、どちらが良いと結論づける事は出来ない。
余裕がある時は、ゆっくりと左側に経っているし、
例えば島に帰るため、空港へ向かっている時などは
余裕があっても、何故か気が焦り、空いている側を、歩いて上り下りする事もあるから。
今朝、問題提起していたキャスターの方は
「ファーストペンギンになってエスカレーターで、空いている側に立っているそうだ。
エスカレーターでゆっくりと立って上り下り、空いてる方を歩いて、又は駆け上がって・・・
時と場合によりけりで、安易に結論づける事は難しいと、ばばは思う。
とにかく、相手に迷惑をかけずに、自分も怪我などしないように利用できれば
それで良いのかな?
夕べだったかな?目の不自由な方たちの安全のため、
横断歩道にある信号機の事がラジオで話されていた。
ある一定時間は音やメロディーで青信号を伝えるが、深夜や早朝など
音やメロディーを消す時間帯があり、その時間に目の不自由な方が事故に遭われたそうだ。
事故に遭われた方は、混雑した時間を避けて会社に出勤しようと
早朝に家を出たら、音の信号が停止している時間だったので
勘で横断歩道を渡ろうとして事故に遭ったそうだ。
たまたま周囲に、人もいなかったんだね。
もし、近くに人がいたら「まだ、赤信号ですよ。青に変わりましたよ」と
教えてあげられたかも知れない。
この音による信号も、目の不自由な方達の安全を守るためには無くてはならない物。
しかし、終日、音が鳴り響く事に近隣住民の中には気にする人もいるようだった。
昼間より、音量を小さくするとかの工夫で、少しは改良できないものかなぁ?
とも思うが、これも色々な意見があるだろうね。
「ファーストペンギン」という言葉が気になってブログを書き始めたが
テーマから外れて色々書いてしまった。
今後、ばばも「ファーストペンギン」として動く日があるのかな・・・・
今、午前10時。
外はもの凄い雨の音。
裏の小さな溝の水量が徐々に増え、流れる水の勢いも速くなった。
町の中央を流れる大瀬川・・・大丈夫かな?
バスの走る道は冠水などしないかな?
激しい雨が、速く収まりますように。
4月25日(木)雨
朝から、雷鳴、大雨。

室内も電気をつけないと暗い。
可燃ゴミを出す日だったので、食後、ゴミをまとめようと外に出た途端!
ゴロゴロゴロゴロ!ドカ~~~ン!
瞬時に飛び上がり、濡れ縁にダッシュ!
室内から、ばばの行動を見ていたじじ、大爆笑!
でも、本当に怖かったんだもん!
この時期、雷が鳴ると、落雷も身近で起こるから怖い。
NHKラジオでも「奄美地方落雷・竜巻注意報」が報じられている。
去年は、落雷でじじのパソコンがやられちゃったし。
だから、じじは早々にブログアップした。
ばばも、これ以上雷が鳴り出さないうちにブログをアップしなきゃ!と頑張っている。
朝食時、雷鳴にビクビクしながら、ラジオを効いていた。
すると「ファースト ペンギン」という言葉が出て来た。
餌を求め、天敵の多い水中に真っ先に飛び込むペンギンという意味だそうだ。
ある行動に勇気を持って臨めるか?というテーマで
「エスカレーターとファーストペンギン」が例として出されていた。
都会の駅などで、エスカレーターに乗る時、東京などでは左側に多くの人が立ち
大阪では右側に立つそうだ。
そして、時間が無い!と言う人などは、空いた側を歩いて上がったり
駆け足で上がったりするのを、ばばも何回も見ている。
空いた側を歩く、駆け上がる行動についてを課題にし
リスナーの方からも色々な意見が出されていた。
やはり賛否両論。
時間が無くて、駆け上がったりするんだったら、
もう少し早い便を利用すれば良いじゃないかとか
大きなトランクを両方に持って乗っている人の脇を、駆け上がろうとした人が接触し
転落して事故になった事例とか、
杖をついた方が、左手に杖を持ち、右手でエスカレーターの手すりを掴んでいたら
迷惑をかける・・・とか。
あっさりと、1人しか乗れない幅のエスカレーターにしたら良いんじゃないかとか
色々な意見があった。
元々はエスカレーターって、2人が横に並んで立って乗るの?
ばばも個人的に、どちらが良いと結論づける事は出来ない。
余裕がある時は、ゆっくりと左側に経っているし、
例えば島に帰るため、空港へ向かっている時などは
余裕があっても、何故か気が焦り、空いている側を、歩いて上り下りする事もあるから。
今朝、問題提起していたキャスターの方は
「ファーストペンギンになってエスカレーターで、空いている側に立っているそうだ。
エスカレーターでゆっくりと立って上り下り、空いてる方を歩いて、又は駆け上がって・・・
時と場合によりけりで、安易に結論づける事は難しいと、ばばは思う。
とにかく、相手に迷惑をかけずに、自分も怪我などしないように利用できれば
それで良いのかな?
夕べだったかな?目の不自由な方たちの安全のため、
横断歩道にある信号機の事がラジオで話されていた。
ある一定時間は音やメロディーで青信号を伝えるが、深夜や早朝など
音やメロディーを消す時間帯があり、その時間に目の不自由な方が事故に遭われたそうだ。
事故に遭われた方は、混雑した時間を避けて会社に出勤しようと
早朝に家を出たら、音の信号が停止している時間だったので
勘で横断歩道を渡ろうとして事故に遭ったそうだ。
たまたま周囲に、人もいなかったんだね。
もし、近くに人がいたら「まだ、赤信号ですよ。青に変わりましたよ」と
教えてあげられたかも知れない。
この音による信号も、目の不自由な方達の安全を守るためには無くてはならない物。
しかし、終日、音が鳴り響く事に近隣住民の中には気にする人もいるようだった。
昼間より、音量を小さくするとかの工夫で、少しは改良できないものかなぁ?
とも思うが、これも色々な意見があるだろうね。
「ファーストペンギン」という言葉が気になってブログを書き始めたが
テーマから外れて色々書いてしまった。
今後、ばばも「ファーストペンギン」として動く日があるのかな・・・・
今、午前10時。
外はもの凄い雨の音。
裏の小さな溝の水量が徐々に増え、流れる水の勢いも速くなった。
町の中央を流れる大瀬川・・・大丈夫かな?
バスの走る道は冠水などしないかな?
激しい雨が、速く収まりますように。
2019年04月25日
ドローンで亀徳港内散歩
【じじ動画日記】
4月25日(木)天気 雷雨 室温 26.5℃ 外気温 25.1℃ 湿度(室内)65%(午前6時13分計測)
今朝は雷雨の音で目が覚めた!
最近島は、梅雨入りしたような天気が続いて、取材が出来なく困ったものだ!

今日もまたしてドローンによる撮り置きの空撮動画のアップになってしまった。
動画は亀徳新港より発着して、港内を手動で撮った作品です。
ドローンで亀徳港内散歩
(2019年4月21日、 徳之島町亀徳港で撮影)
4月25日(木)天気 雷雨 室温 26.5℃ 外気温 25.1℃ 湿度(室内)65%(午前6時13分計測)
今朝は雷雨の音で目が覚めた!
最近島は、梅雨入りしたような天気が続いて、取材が出来なく困ったものだ!

今日もまたしてドローンによる撮り置きの空撮動画のアップになってしまった。
動画は亀徳新港より発着して、港内を手動で撮った作品です。
ドローンで亀徳港内散歩
(2019年4月21日、 徳之島町亀徳港で撮影)
2019年04月24日
たかが素麺、されど素麺
「ばばの日記」
4月24日(水)小雨
小雨の徳之島。
庭のツンベルギアの葉っぱの間に赤い実が見えたので「????」。
更に、何か蕾?がビッシリ付いたような枝も伸びている。
不思議な事もあればあるものだと思いながら、よくよく見たら
別の植物がツンベルギアの間に伸びて花を咲かせ、赤い種になっているみたい。

(小さな赤い実と左側へ伸びた蕾状の物が分かるかな?)
かわいいから、引き抜かずに見守って行く事にしたよ。
さて、甥っ子君の帰省中に「お母さんの味」が話題になったが・・・
ばばにとって「母の味」は沢山あるけれど、その中でも「アンバ素麺(油素麺)」がダントツかな?

ばばがじじと結婚して、娘達が生まれ、毎週土曜日の夕方は家族で実家へ行っていた。
母は、孫達の分はおやつも準備し、夕食には「アンバ素麺」や煮物、
時には刺身なども準備して、ばば達を歓待してくれた。
我が娘達も成長し、部活が忙しくなったり、じじは部活始動が忙しくなった。
実家へ行く回数は減ったけれど、それでも娘やじじが家にいる時は
必ずドライブがてら実家へ寄り、夕食をご馳走になって帰って来ていた。
ばばが転勤で隣町勤務になった時、退庁後は必ず実家へ寄って帰った。
母は、門で、ビールの空きケースに座ってばばの帰りを待っていてくれた。
ばばが到着すると、すぐ台所に立ち、作ってあった「アンバ素麺」を
お皿に入れて出してくれた。
「アンバ素麺」や、作ってくれていた、おかず等をお土産に持たせてくれる事もあった。
「娘や娘の家族を思う」母の心遣いにいつも感謝しつつ
色々な話をし、周囲なが薄暗くなる頃には、実家を後にしていた。
たまに、「アンバ素麺」を実際作るのを見た事もある。
普通の素面をサッと茹でて、茹でた麺は水洗いせず、
少し温めた少量の油を入れた鍋に入れてかき混ぜるのが、母の「アンバ素麺」だった。
たまには青ネギが入っていたり、かまぼこや卵焼きが添えられる事もあった。
具とか何も入っていなくても、母の作る「アンバ素麺」はシンプルで美味しかった。
ばばの中では「アンバ素麺」こそが「母の味」だという思いも強く
作り方もしっかり覚えた。
それから数年経って、ばばは加計呂麻へ単身赴任した。
加計呂麻へ行って2年目だったか?職場で「油素麺」のことが話題になり
「油素麺なら作れます!」と、自信満々に「母流のアンバ素麺」を作った。
作っている途中で、同僚達は???な感じでは、ばばを見ていて
出来上がった「アンバ素麺」を試食した後も「???」な反応。
そして、先輩が言うには・・・・
ばばの「アンバ素麺」は、普通の一般的な「油素麺」では無いと言う。
ビックリしたのは、ばば。
何十年も、ずっと母が作ってくれた「アンバ素麺」を「油素麺」と信じていたから。
先輩達が作る「油素麺」は、しっかりとダシを取り、その中に茹でて、水洗いした素麺を入れるという・・・
勿論、ネギや肉、蒲鉾なども入れる。
違いは・・・茹でた素麺を洗うか、洗わないか・
ダシを作ってその中に素麺を入れるか、
熱した油の中に水洗いしない索麺を入れるかのふたつ。
退職した後公民館口座の「郷土料理教室」に通い、
そこでも「アンバ素麺」の作り方を習ったが、
やはり、加計呂麻で先輩達から習った作り方と同じだった。
加計呂麻の先輩達が作ってくれた「油素麺」も、郷土料理教室で習った「油素麺」も
ダシがきいていて、とても美味しかった。
でもね、ばばの中での「油素麺」は、亡き母が、ばば家族や、ばばに作ってくれた
茹でた素麺を少し熱した油と馴染ませただけの超シンプルな物。
オーソドックスな作り方をした「油素麺」が栄養的にも優れているのは分かる。
でも・・・ばばは「油素麺」と言えば、母が作ってくれた「アンバ素麺」を思い出す。
今回帰省した甥っ子君には、オーソドックスな「油素麺」を作ってあげた。
でも・・今回使い残した素麺が3束残っているので、
そのうちに、母流の素朴な「アンバ素麺」を作ってみようかと思っている。
4月24日(水)小雨
小雨の徳之島。
庭のツンベルギアの葉っぱの間に赤い実が見えたので「????」。
更に、何か蕾?がビッシリ付いたような枝も伸びている。
不思議な事もあればあるものだと思いながら、よくよく見たら
別の植物がツンベルギアの間に伸びて花を咲かせ、赤い種になっているみたい。

(小さな赤い実と左側へ伸びた蕾状の物が分かるかな?)
かわいいから、引き抜かずに見守って行く事にしたよ。
さて、甥っ子君の帰省中に「お母さんの味」が話題になったが・・・
ばばにとって「母の味」は沢山あるけれど、その中でも「アンバ素麺(油素麺)」がダントツかな?

ばばがじじと結婚して、娘達が生まれ、毎週土曜日の夕方は家族で実家へ行っていた。
母は、孫達の分はおやつも準備し、夕食には「アンバ素麺」や煮物、
時には刺身なども準備して、ばば達を歓待してくれた。
我が娘達も成長し、部活が忙しくなったり、じじは部活始動が忙しくなった。
実家へ行く回数は減ったけれど、それでも娘やじじが家にいる時は
必ずドライブがてら実家へ寄り、夕食をご馳走になって帰って来ていた。
ばばが転勤で隣町勤務になった時、退庁後は必ず実家へ寄って帰った。
母は、門で、ビールの空きケースに座ってばばの帰りを待っていてくれた。
ばばが到着すると、すぐ台所に立ち、作ってあった「アンバ素麺」を
お皿に入れて出してくれた。
「アンバ素麺」や、作ってくれていた、おかず等をお土産に持たせてくれる事もあった。
「娘や娘の家族を思う」母の心遣いにいつも感謝しつつ
色々な話をし、周囲なが薄暗くなる頃には、実家を後にしていた。
たまに、「アンバ素麺」を実際作るのを見た事もある。
普通の素面をサッと茹でて、茹でた麺は水洗いせず、
少し温めた少量の油を入れた鍋に入れてかき混ぜるのが、母の「アンバ素麺」だった。
たまには青ネギが入っていたり、かまぼこや卵焼きが添えられる事もあった。
具とか何も入っていなくても、母の作る「アンバ素麺」はシンプルで美味しかった。
ばばの中では「アンバ素麺」こそが「母の味」だという思いも強く
作り方もしっかり覚えた。
それから数年経って、ばばは加計呂麻へ単身赴任した。
加計呂麻へ行って2年目だったか?職場で「油素麺」のことが話題になり
「油素麺なら作れます!」と、自信満々に「母流のアンバ素麺」を作った。
作っている途中で、同僚達は???な感じでは、ばばを見ていて
出来上がった「アンバ素麺」を試食した後も「???」な反応。
そして、先輩が言うには・・・・
ばばの「アンバ素麺」は、普通の一般的な「油素麺」では無いと言う。
ビックリしたのは、ばば。
何十年も、ずっと母が作ってくれた「アンバ素麺」を「油素麺」と信じていたから。
先輩達が作る「油素麺」は、しっかりとダシを取り、その中に茹でて、水洗いした素麺を入れるという・・・
勿論、ネギや肉、蒲鉾なども入れる。
違いは・・・茹でた素麺を洗うか、洗わないか・
ダシを作ってその中に素麺を入れるか、
熱した油の中に水洗いしない索麺を入れるかのふたつ。
退職した後公民館口座の「郷土料理教室」に通い、
そこでも「アンバ素麺」の作り方を習ったが、
やはり、加計呂麻で先輩達から習った作り方と同じだった。
加計呂麻の先輩達が作ってくれた「油素麺」も、郷土料理教室で習った「油素麺」も
ダシがきいていて、とても美味しかった。
でもね、ばばの中での「油素麺」は、亡き母が、ばば家族や、ばばに作ってくれた
茹でた素麺を少し熱した油と馴染ませただけの超シンプルな物。
オーソドックスな作り方をした「油素麺」が栄養的にも優れているのは分かる。
でも・・・ばばは「油素麺」と言えば、母が作ってくれた「アンバ素麺」を思い出す。
今回帰省した甥っ子君には、オーソドックスな「油素麺」を作ってあげた。
でも・・今回使い残した素麺が3束残っているので、
そのうちに、母流の素朴な「アンバ素麺」を作ってみようかと思っている。
2019年04月24日
大瀬川下流付近の風景
【じじ写真日記】
4月24日(水)天気 雨 室温 26.0℃ 外気温 25.3℃ 湿度(室内)70%(午前6時58分計測)
大丸センター前から大瀬橋付近を撮ってみました。
奥まって、亀津小学校や亀津中学校の校舎が見えています。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月21日、 徳之島町大瀬川下流で撮影)
4月24日(水)天気 雨 室温 26.0℃ 外気温 25.3℃ 湿度(室内)70%(午前6時58分計測)
大丸センター前から大瀬橋付近を撮ってみました。
奥まって、亀津小学校や亀津中学校の校舎が見えています。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月21日、 徳之島町大瀬川下流で撮影)
2019年04月24日
ドローンで大瀬川下流を散歩
【じじ動画日記】
4月24日(水)天気 雨 室温 26.0℃ 外気温 25.3℃ 湿度(室内)70%(午前6時58分計測)
今朝は非常に湿度が高くなんと70パーセントになっている。
天気図では前線を伴った低気圧が西岸を通過中で今日は一日不安定な天気になりそうだ!
現在雷雨を伴った天気になっている。
昨日は一日雨で、取材にもいけず、またもドローンによる空撮動画をアップします。

大瀬川下流をさかのぼって、第二大瀬橋付近までを撮ってみました。
ドローンで大瀬川下流を散歩
(2019年4月21日、 徳之島町大瀬川下流で撮影)
4月24日(水)天気 雨 室温 26.0℃ 外気温 25.3℃ 湿度(室内)70%(午前6時58分計測)
今朝は非常に湿度が高くなんと70パーセントになっている。
天気図では前線を伴った低気圧が西岸を通過中で今日は一日不安定な天気になりそうだ!
現在雷雨を伴った天気になっている。
昨日は一日雨で、取材にもいけず、またもドローンによる空撮動画をアップします。

大瀬川下流をさかのぼって、第二大瀬橋付近までを撮ってみました。
ドローンで大瀬川下流を散歩
(2019年4月21日、 徳之島町大瀬川下流で撮影)
2019年04月23日
亀徳の町並み
【じじ写真日記】
4月23日(火)天気 曇 室温 26.5℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)52%(午前6時13分計測)
先日、亀徳川上空から撮った写真をアップします。
亀徳川は2級河川で神嶺ダムから放流された水が流れ込む川です。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月21日、15:36 徳之島町亀徳川沿道で撮影)
4月23日(火)天気 曇 室温 26.5℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)52%(午前6時13分計測)
先日、亀徳川上空から撮った写真をアップします。
亀徳川は2級河川で神嶺ダムから放流された水が流れ込む川です。
↑ この画像をクリックしたら大画面表示 します。
(2019年4月21日、15:36 徳之島町亀徳川沿道で撮影)
2019年04月23日
ドローンで亀徳を散歩
【じじ動画日記】
4月23日(火)天気 曇 室温 26.5℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)52%(午前6時13分計測)
最近渡り鳥たちもほとんど帰り、旅鳥たちの春の移動もピークを過ぎ、じじの動画題材に取材も困難になってきた。
今日も、最近始めた空撮動画をアップします。

先日亀徳川の下流付近から中流(亀徳小学校裏通り)までを川に沿ってドローンで自動空撮をした。
ドローンで亀徳を散歩
(2019年4月21日、15:36 徳之島町亀徳川沿道で撮影)
4月23日(火)天気 曇 室温 26.5℃ 外気温 23.8℃ 湿度(室内)52%(午前6時13分計測)
最近渡り鳥たちもほとんど帰り、旅鳥たちの春の移動もピークを過ぎ、じじの動画題材に取材も困難になってきた。
今日も、最近始めた空撮動画をアップします。

先日亀徳川の下流付近から中流(亀徳小学校裏通り)までを川に沿ってドローンで自動空撮をした。
ドローンで亀徳を散歩
(2019年4月21日、15:36 徳之島町亀徳川沿道で撮影)
2019年04月23日
よく覚えていたね・・・
「ばばの日記」
4月23日(火)曇り
朝からドンヨリ。
朝食後、いつもの「花壇」点検?。
去年、何か害虫にやられたらしくすっかり枯れてしまった夜香木。
枯れた茎の横から新しく芽吹いた細い枝が元気よく伸び出した。
裏の菜園のキツネ花は、実がほぼ色付いた枝があったので
切り取って、記念撮影。

やっと「ミミ付き」の実が実った。
それでも不思議な事に、上に行くにつれ「ミミの無い」実ばかりになっていくから不思議。
次、枝を切り取る事が出来るのは7,8月頃かなぁ?
昨日は帰省した甥っ子君の事を書いた。
一昨日の夕食後、彼が「おにぎりと言えば、おばちゃんが作ってくれた
あの、おにぎり美味しかった」と言う。
「あの、おにぎり」とは・・・
我が家の三姉妹の長女、次女が小学校の3,4年生くらいだっただろうか?
三女と甥っ子君は年長さん位だったかな?
子供達は自転車で、ばばの実家まで行って、一泊し
翌日、又自転車で帰宅するという計画をじじが立てた。
自転車で片道20キロ?の距離なので、じじがバイクで伴走。
自転車は3台しか無かったので、長女と次女はずっと乗り続け
三女と甥っ子は交代交代で1台の自転車を乗った。
自転車に乗らない時は、じじのバイクの後ろに乗る・・・という計画でスタート。
初日、数時間かけ、ばば実家に到着した子供達は、そのまま宿泊。
翌朝、じじがバイクで迎えに行き、同じコースを子供達は戻って来た。
その時、ばばはおにぎりや簡単なおかず、おやつなどを準備し
途中で待機し、子供達を迎え、一緒にお昼ご飯・・・。
ばばと姉は一緒に行動したと思う。
子供達が到着する時刻を見計らって、我が家から10分位の神社近くで子供達を待った。
子供達が到着して、神社の近くで、おにぎり等を一緒に食べた。
その時のおにぎりが、甥っ子君の記憶では今でも鮮明らしい。
「どんなおにぎりだった?」と聞くと、「魚肉ソーセージを甘辛く炒めて
そこに、かつお節も加えて、おにぎりの具にしてあって、凄く美味しかった」って。
そう言えば・・・子供達が小さい頃は、その、おにぎり良く作っていたなぁと思い出した。
ばば自身も好きなおにぎりだった。
そのおにぎりの事を数十年経った今でも覚えてくれている甥っ子君にビックリ!
「じゃぁ、そのおにぎりは、おふくろの味ならぬ、おばちゃんの味だね」と笑った。
「H君にとって、お母さんの味は何が印象に残っている?」と聞くと
「野菜炒め、とんかつ・・・そう言えばポテトチップスを初めて作ってくれた時は
お家でも、こんな美味しいのが作れるんだとビックリした」と答えた。
「お母さんの味」・・・・我が家の三姉妹にとっては何だろう?
と思いつつ、子供達の幼かった頃の事を色々思い出した、ばばでした。
4月23日(火)曇り
朝からドンヨリ。
朝食後、いつもの「花壇」点検?。
去年、何か害虫にやられたらしくすっかり枯れてしまった夜香木。
枯れた茎の横から新しく芽吹いた細い枝が元気よく伸び出した。
裏の菜園のキツネ花は、実がほぼ色付いた枝があったので
切り取って、記念撮影。

やっと「ミミ付き」の実が実った。
それでも不思議な事に、上に行くにつれ「ミミの無い」実ばかりになっていくから不思議。
次、枝を切り取る事が出来るのは7,8月頃かなぁ?
昨日は帰省した甥っ子君の事を書いた。
一昨日の夕食後、彼が「おにぎりと言えば、おばちゃんが作ってくれた
あの、おにぎり美味しかった」と言う。
「あの、おにぎり」とは・・・
我が家の三姉妹の長女、次女が小学校の3,4年生くらいだっただろうか?
三女と甥っ子君は年長さん位だったかな?
子供達は自転車で、ばばの実家まで行って、一泊し
翌日、又自転車で帰宅するという計画をじじが立てた。
自転車で片道20キロ?の距離なので、じじがバイクで伴走。
自転車は3台しか無かったので、長女と次女はずっと乗り続け
三女と甥っ子は交代交代で1台の自転車を乗った。
自転車に乗らない時は、じじのバイクの後ろに乗る・・・という計画でスタート。
初日、数時間かけ、ばば実家に到着した子供達は、そのまま宿泊。
翌朝、じじがバイクで迎えに行き、同じコースを子供達は戻って来た。
その時、ばばはおにぎりや簡単なおかず、おやつなどを準備し
途中で待機し、子供達を迎え、一緒にお昼ご飯・・・。
ばばと姉は一緒に行動したと思う。
子供達が到着する時刻を見計らって、我が家から10分位の神社近くで子供達を待った。
子供達が到着して、神社の近くで、おにぎり等を一緒に食べた。
その時のおにぎりが、甥っ子君の記憶では今でも鮮明らしい。
「どんなおにぎりだった?」と聞くと、「魚肉ソーセージを甘辛く炒めて
そこに、かつお節も加えて、おにぎりの具にしてあって、凄く美味しかった」って。
そう言えば・・・子供達が小さい頃は、その、おにぎり良く作っていたなぁと思い出した。
ばば自身も好きなおにぎりだった。
そのおにぎりの事を数十年経った今でも覚えてくれている甥っ子君にビックリ!
「じゃぁ、そのおにぎりは、おふくろの味ならぬ、おばちゃんの味だね」と笑った。
「H君にとって、お母さんの味は何が印象に残っている?」と聞くと
「野菜炒め、とんかつ・・・そう言えばポテトチップスを初めて作ってくれた時は
お家でも、こんな美味しいのが作れるんだとビックリした」と答えた。
「お母さんの味」・・・・我が家の三姉妹にとっては何だろう?
と思いつつ、子供達の幼かった頃の事を色々思い出した、ばばでした。