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自宅設置ライブカメラ

2020年08月19日

電話が鳴った!

「ばばの日記」

8月19日(水)晴れ

ブーゲンビリア

我が家の固定電話が故障し、ばばの車のタイヤが

同じ日に2個パンクし「何だろう?これは・・・」と思っていた。

2日前の昼、電話が鳴った。

おっ!普通に電話が鳴っている。

「電話が鳴る」と言う事は?きっと電話会社から

「修理が終わりましたよ」という連絡の電話かと思った。

そこで、電話に近いじじが受話器を取った。

そして、「○○さんですか?」と、聞き返している様子。

その後すぐ「妻に替わりますから」と言って、ばばに受話器を差し出した。

「どなたから?」と聞いても、じじの全く知らない人らしい。

受け取った受話器を耳に当て「替わりました」と言うと

相手の方は「お久しぶりです。Kです、分かりますか?」と。

Kさん・・・すぐ分かった。

40年近く前、勤務していた職場での教え子,Yちゃんのお母さんからだった。

しばらく、話した後「娘と替わりますね」と仰った。

そして「ばばちゃん、Yです」と・・・・・

40年近く前に担任した、Yちゃんが、わざわざ電話をくれたのだ。

「憶えていますか?」とYちゃんから聞かれたので「分かるよ、分かるよ~」と答えた。

瞬時に当時のYちゃんの可愛い顔が浮かぶ。

Yちゃんのお父さんのお仕事の関係で、鹿児島から転校してきて

3年位、徳之島で暮らし、又、鹿児島へ帰って行ったYちゃん。

Yちゃんが「私、いつも、放課後は、ばばちゃんの横に座っていましたよね~」とか

「放課後、一緒に作文書いたりしていましたよね」とか

当時の事を話してくれた。

聞いているうちに、当時の事が色々思い出された。

電話をくれた日、Yちゃんは、お家の整理をしていたら

ばばと一緒に過ごした当時の「手紙?」が出てきたそうだ。

3月25日の日付で、ばばがクラスの子全員に手紙を書いて

ひとりひとりに渡して、その学年度の「お別れ会」のようなことをしたらしい。

ばばは、その事は全く記憶に無かったので、ビックリした。

「夏休みには泊まりがけで遊びにいらっしゃいね」と

いうようなことも書いてあったらしい。

今なら、上から注意されるかも知れないけれど

ばばが教員になって、初任校では教え子ちゃん達を車に乗せて

ドライブしたり、週末には実家へ泊まりがけで遊びに誘ったりしていた。

この当時の教え子ちゃんで、島にいる子も数名いて

ばばを、まるで親戚のおばちゃんのように慕って、

年に数回、我が家に寄ってくれたりもする。

Yちゃんは、ばばが結婚してすぐの頃、担任した子。

数年徳之島で暮らした後、又、お父さんの転勤で

鹿児島へ帰って以来、一度も会ってはいないが

ふと、ばばの事を思い出して、電話をくれるなん・・・・・本当に有難い。

まだまだ初心者、未熟な担任だったばば、

保護者の方にも沢山助けて頂いた。

子ども達に「教える」と言うより、「子ども達に色々教えて貰った」

「子ども達から学ばせて貰った」という思いが、退職した今でも強い。

Yちゃんの住所も教えて貰い、私の住所も教えた。

少し落ち着いたら、ゆっくりと、Yちゃんに手紙でも書いてみようと思っている。

一昨年は、Yちゃんと同年代のSちゃんのお母さんと出会った事から

Sちゃんとも年賀状や手紙のやりとりが続いている。

数ヶ月前には、スーパーで同じくYちゃんや、Sちゃんの同じ学校で担任した

H君のお母さんとバッタリ会って、その後、H君とも会えて・・・・

何十年も前の教え子ちゃん達との再会?が続いている。

今でも「ばばちゃん、ばばちゃん」と言ってくれる教え子ちゃん達に対し

当時の未熟な自分を恥じ入るばかりのばばだけど

でも、立派な社会人に生長している教え子ちゃん達の声を聞いたり

話したり出来る事は、何よりも嬉しい。

故障した電話が直って、その最初の電話が

思いもかけない40年近く前の教え子ちゃんとは!

ばばにとって最高のサプライズでした。

いつか、Yちゃんと会える日が訪れると良いなぁ・・・・

※ 画像は記事とは関係なく、暑さの中で頑張って咲いていた

  ブーゲンビリアです。





































































































色々話しているうちに「ばばちゃん、





















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Posted by ibuchanじじ&ばば at 14:50│Comments(2)日常生活
この記事へのコメント
本当に、教師になってて良かったなぁと、亡き母に感謝の日々です。

送り盆の日に、ドキッとする事がありましたが
その時、助けて下さったのも、教え子ちゃんのお父さんでした。

若い頃は、「教師が子どもに教える」と思っていましたが
「子どもに教えられる」事が多々ありました。
母が「自分以外、皆師」とも良く言っていましたが
正に、その通りだと思います。
沢山の子ども達と巡り会えたお陰様で、
今、色々助けて貰う事も多いですね。
主人が、数回、救急車のお世話になった時も
たまたま教え子ちゃんが来てくれて、病院でオロオロする私に
「先生、もう大丈夫ですよ」と声をかけてくれ、落ち着かせてくれました。

島での勤務が多かったので、退職後は、保護者の方々からも気軽に声をかけて頂き、子ども達の活躍の様子等を聞かせてもらえたりできるのも有難いです。

たまに、かつて勤務した職場の「児童名簿」を出して見たりしています。
ご縁を大切にしていきたです。
Posted by ibuchanじじ&ばばibuchanじじ&ばば at 2020年08月19日 16:58
冥利に尽きますね。
子供に慕われる事はよろしいことですが。
子供が覚えているのは当然のような気もしますが、子供を覚えていたばばちゃんは凄い。
良い話を聞きました
Posted by 呑兵衛あな at 2020年08月19日 15:13
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