2018年05月05日
「○○のせいで~」「○○のおかげで~」
「ばばの日記」
5月5日(土)晴れ

今朝の事。
朝食時、ラジオを聞きながら、時々じじとお喋り。
ラジオでは、たまたま仲代達矢さんが
子ども達に向けて、メッセージを送っていた。
いい話をするなぁ・・・と思いながら、食事もしながら
ふと、ある場所に目が留まった時、
「ねぇ」とじじに声をかけた、じじが「何?」と応じた。
しかし、仲代さんも、ちょうど良い事を話していたので
ばばは「後で・・・」と話を止めた。
仲代さんの話も一段落したので、
じじが「さっきの、ねぇって、何を言おうとしたの?」と聞いた。
すぐに話そうとしたが、一瞬「あれっ?何話そうとしていたんだっけ?」・・・
となってしまった、ばば。
「忘れた~」と言うばばに、じじは呆れながらも爆笑。
「えぇ~~と、えぇ~~と」と必死に数分前、話そうとした事を思い出そうとするばば。
座ったまま、視線を左右にゆっくり動かした時、思い出した!
「コーヒーのカプセルが少なくなっているので、
買い足した方が良いんじゃ無い?と言おうとしたの」と、ばばが言うと
じじも「そうだね、そろそろ注文すれば?」と言った。
朝食後、家事が一段落したら、注文する事にして
第一章はめでたし、めでたし・・・・
となり、次は、何かのきっかけで、
じじが「僕は親父のせいで教員になった」と言うので
ばばは「私はお母さんのおかげで教員になった」と答えた。
「~のせい」と「~のおかげ」では、大違いだよね。
これまでもじじから何回か聞いてはいたが、
じじは長男という事もあり、祖父母や両親から溺愛されて育ったらしい。
小さい頃、「ずっと一番可愛がってもらった」という思いがずっとあって
大きくなるにつれ、親のいう事は聞かなくては・・と思うようになったらしい。
就職する時も、父が「ここの会社に行きなさい」と言うのを
素直に聞いて「ハイ!」と就職したらしい。
しかし、就職して1ヶ月も経たないうちに、又父から電話があり
「帰って来て教員になりなさい」と言われた。
採用試験も受けてあったので、その時も又、すぐに「ハイッ」と
父の言う通り、帰って来て教員になったそうだ。
「よろしくお願いします」と就職してから1ヶ月も経たず
「辞めさせて下さい」って、言うの、辛かっただろうな・・・
どこまで父に従順なんだよ~とも思うけれど
でも、両親が年老いた時、最後まで側にいて、
付き添い、看病し、心おきなく見送れた事は、一番の親孝行だったと
ばばは、じじに拍手を送りたいと思う。
反対にばばは、小学校低学年の頃から
母に「教員は良いよ~周囲から尊敬されるし、卵などももらえるよ」と言われていた。
高校生位になると「周教員は囲から尊敬・・・」と言っても、
その人次第だとおもうようになったけど・・・
又「卵がもらえるよ・・」と言ったのには、ばばが幼かった頃
卵は高級で貴重品だった。
1個の卵を溶いて味噌汁に入れ、多い時は家族10人で分け合って食べていた。
その貴重な卵が教員は、家庭訪問などでもらえた・・・
と言うのは、ばばが小学校中学年の頃だったかな?姉が幼稚園教諭をしていた。
家庭訪問時期になると、姉は新聞紙に丁寧に包まれた卵を貰って帰って来ていた。
全家庭からいただけると言う事では無かったと思うけれど・・・
でも、貴重な卵をいただいたり、尊敬されるんであれば・・・という思いと
国語が大好き!という事もあって「絶対、国語の先生になる!」と
小学生の頃からずっと思い、その夢を果たす為に勉強もした。
大人になって考えれば、家庭訪問で「○○をいただく・・」なんて
とんでもない事で、時代の流れと共に各家庭を訪問する意義も少しずつ変わって来たと思う。
数十年前なんて「お料理を沢山準備して先生を接待する」という事もあったなぁ。
又1軒当たりの訪問時間も、今は長くて10分内外で、
玄関先で挨拶して帰る・・・と言うような事も聞く。
家庭訪問の意味も分からず「卵がもらえるから・・・」と信じ込んだばば
お馬鹿さんだったなぁと、未だに恥ずかしく思う事がある。
母は食いしん坊だったばばを触発する為に「卵・・・」と話したんだろうなぁ・・
採用試験も受け、3月末までには採用通知が届きます・・と言われ
島に帰って待機したもの、通知は来ず、叔父の紹介で
町外のある場所で働いていた・・という事は、数日前も書いた。
そして、勤め始めて1ヶ月ちょっとで、採用の為の面接に来るよう
事務局から通知があり、ばばも「申し訳無い」と思いつつ叔父が紹介してくれた職場を辞職した。
採用内容は、ばばがずっとなりたかった「国語の先生」ではなく
小学校の期限付き講師。
大分迷ったけど、教員生活スタート・・・
沢山の子ども達と接するうちに「小学校も面白いかも・・」と思うようになり
勤めながら通信教育で小学校教諭や幼稚園教諭の免許等を取り
38年間勤めた。
「親父ののせいで~」教員になったじじ、
「母のおかげで~」教員になったばば。
そんな2人が結婚し、今、亡き親の事を思い出しながら
朝食時に語り合っている。。。。。
人生って?
人生って?
これからの人生、「○○のせいで~~」と考えるより
「○○のおかげで、おかげさまで~」と考えるようにしたいねと
じじと話す事でした。
※2日前かな?先輩宅でジャスミンの実を見つけたので撮ってみたよ~
5月5日(土)晴れ

今朝の事。
朝食時、ラジオを聞きながら、時々じじとお喋り。
ラジオでは、たまたま仲代達矢さんが
子ども達に向けて、メッセージを送っていた。
いい話をするなぁ・・・と思いながら、食事もしながら
ふと、ある場所に目が留まった時、
「ねぇ」とじじに声をかけた、じじが「何?」と応じた。
しかし、仲代さんも、ちょうど良い事を話していたので
ばばは「後で・・・」と話を止めた。
仲代さんの話も一段落したので、
じじが「さっきの、ねぇって、何を言おうとしたの?」と聞いた。
すぐに話そうとしたが、一瞬「あれっ?何話そうとしていたんだっけ?」・・・
となってしまった、ばば。
「忘れた~」と言うばばに、じじは呆れながらも爆笑。
「えぇ~~と、えぇ~~と」と必死に数分前、話そうとした事を思い出そうとするばば。
座ったまま、視線を左右にゆっくり動かした時、思い出した!
「コーヒーのカプセルが少なくなっているので、
買い足した方が良いんじゃ無い?と言おうとしたの」と、ばばが言うと
じじも「そうだね、そろそろ注文すれば?」と言った。
朝食後、家事が一段落したら、注文する事にして
第一章はめでたし、めでたし・・・・
となり、次は、何かのきっかけで、
じじが「僕は親父のせいで教員になった」と言うので
ばばは「私はお母さんのおかげで教員になった」と答えた。
「~のせい」と「~のおかげ」では、大違いだよね。
これまでもじじから何回か聞いてはいたが、
じじは長男という事もあり、祖父母や両親から溺愛されて育ったらしい。
小さい頃、「ずっと一番可愛がってもらった」という思いがずっとあって
大きくなるにつれ、親のいう事は聞かなくては・・と思うようになったらしい。
就職する時も、父が「ここの会社に行きなさい」と言うのを
素直に聞いて「ハイ!」と就職したらしい。
しかし、就職して1ヶ月も経たないうちに、又父から電話があり
「帰って来て教員になりなさい」と言われた。
採用試験も受けてあったので、その時も又、すぐに「ハイッ」と
父の言う通り、帰って来て教員になったそうだ。
「よろしくお願いします」と就職してから1ヶ月も経たず
「辞めさせて下さい」って、言うの、辛かっただろうな・・・
どこまで父に従順なんだよ~とも思うけれど
でも、両親が年老いた時、最後まで側にいて、
付き添い、看病し、心おきなく見送れた事は、一番の親孝行だったと
ばばは、じじに拍手を送りたいと思う。
反対にばばは、小学校低学年の頃から
母に「教員は良いよ~周囲から尊敬されるし、卵などももらえるよ」と言われていた。
高校生位になると「周教員は囲から尊敬・・・」と言っても、
その人次第だとおもうようになったけど・・・
又「卵がもらえるよ・・」と言ったのには、ばばが幼かった頃
卵は高級で貴重品だった。
1個の卵を溶いて味噌汁に入れ、多い時は家族10人で分け合って食べていた。
その貴重な卵が教員は、家庭訪問などでもらえた・・・
と言うのは、ばばが小学校中学年の頃だったかな?姉が幼稚園教諭をしていた。
家庭訪問時期になると、姉は新聞紙に丁寧に包まれた卵を貰って帰って来ていた。
全家庭からいただけると言う事では無かったと思うけれど・・・
でも、貴重な卵をいただいたり、尊敬されるんであれば・・・という思いと
国語が大好き!という事もあって「絶対、国語の先生になる!」と
小学生の頃からずっと思い、その夢を果たす為に勉強もした。
大人になって考えれば、家庭訪問で「○○をいただく・・」なんて
とんでもない事で、時代の流れと共に各家庭を訪問する意義も少しずつ変わって来たと思う。
数十年前なんて「お料理を沢山準備して先生を接待する」という事もあったなぁ。
又1軒当たりの訪問時間も、今は長くて10分内外で、
玄関先で挨拶して帰る・・・と言うような事も聞く。
家庭訪問の意味も分からず「卵がもらえるから・・・」と信じ込んだばば
お馬鹿さんだったなぁと、未だに恥ずかしく思う事がある。
母は食いしん坊だったばばを触発する為に「卵・・・」と話したんだろうなぁ・・
採用試験も受け、3月末までには採用通知が届きます・・と言われ
島に帰って待機したもの、通知は来ず、叔父の紹介で
町外のある場所で働いていた・・という事は、数日前も書いた。
そして、勤め始めて1ヶ月ちょっとで、採用の為の面接に来るよう
事務局から通知があり、ばばも「申し訳無い」と思いつつ叔父が紹介してくれた職場を辞職した。
採用内容は、ばばがずっとなりたかった「国語の先生」ではなく
小学校の期限付き講師。
大分迷ったけど、教員生活スタート・・・
沢山の子ども達と接するうちに「小学校も面白いかも・・」と思うようになり
勤めながら通信教育で小学校教諭や幼稚園教諭の免許等を取り
38年間勤めた。
「親父ののせいで~」教員になったじじ、
「母のおかげで~」教員になったばば。
そんな2人が結婚し、今、亡き親の事を思い出しながら
朝食時に語り合っている。。。。。
人生って?
人生って?
これからの人生、「○○のせいで~~」と考えるより
「○○のおかげで、おかげさまで~」と考えるようにしたいねと
じじと話す事でした。
※2日前かな?先輩宅でジャスミンの実を見つけたので撮ってみたよ~
Posted by ibuchanじじ&ばば at 11:32│Comments(0)
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